青天を衝け・農人形とは?徳川斉昭が作った水戸の伝統工芸品

青天を衝け

青天を衝けで、徳川斉昭役を竹中直人さんが演じますが、水戸の弘道館で行われたロケのシーンでは、徳川斉昭の子、徳川慶喜の幼少期の朝食のシーンがありますが、膳に置かれた農人形があります。お膳の角に農人形が置かれてあるのがお気づきになったでしょうか?農人形とは、徳川斉昭が作ったものが発祥とされ、農人形に、ご飯を備え農民に感謝することを忘れないようにと、食事のたびに手を合わせていたそうです。子の慶喜にも教えていたのです。4話でも、慶喜が円四郎に給仕を教えるシーンでも出てきました。農人形は水戸の伝統工芸品として、今も作り続けられています。また、斉昭が作った梅の名所偕楽園は領民にも開放されていました。

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農人形とは?

青天を衝けで、水戸藩の徳川斉昭は(演じるのは竹中直人)、恵まれた立場にありながらも、農民への感謝の想いは忘れなかったという。水戸の弘道館で行われたロケのシーンでは、徳川斉昭の子、徳川慶喜(演じるのは草彅剛)の幼少期(子役は笠松基生)の朝食のシーンがありますが、膳に置かれた農人形があります。膳の角に置かれた農人形が置かれてあったのがお気づきになったでしょうか?

農人形は徳川斉昭が作らせた物が発祥とされています。皺が刻まれた農家のお爺さん、その横に稲わらの束が置かれています。斉昭は農人形にご飯を備え、農民に感謝することを忘れないように、食事のたびに手を合わせていたそうです。子の慶喜にも教えていたのです。

また、4話でも平岡円四郎が慶喜の、直言の臣になりましたが、その際、円四郎がご飯の盛り方などの給仕を教えるシーンがありましたが、お膳の角には農人形が置かれ、ご飯を農人形に添えていました。慶喜は幼い頃の父の教えを、一橋家に行ってからも、しっかりと守っていたんですね。

斉昭は恵まれていましたが、恵まれない農民がいることを忘れるなという思いを農人形に託し、農民に感謝の想いを忘れないようにしてたと言われています。この農人形は水戸の伝統工芸品として今も受け継がれています。

水戸の工芸品・農人形

農人形を作っているのは、茨木彫刻研究会の方です。伝統を守ろうと会社の経営者の方が仕事の傍ら取り組んでいるそうです。高さ30センチの農人形を作るにはおよそ、一カ月ほどかかるようです。もっともこだわって作るのが顔だそうです。品があり、年齢を刻んだ顔をつくるのはなかなか難しいそうです。

農人形は販売はしておらず、神社などに寄贈しているそうです。現在、農人形の後継者は3人しかおらず、後継者を募集する意味でもイベントを開催を考えているようです。徳川斉昭が農民への感謝の想いを込めて作った農人形の伝統が続いて欲しいですね。

徳川斉昭が作った紫錦梅

徳川斉昭が作った梅の名所、偕楽園は領民にも開放されていました。斉昭がなぜ、梅を植えたかと言うと、梅は美しさだけでなく、梅は保存食として利用できると考えたからです。斉昭は梅を使った様々なレシピを考案しました。水戸市には斉昭のレシピを受け継いだ漬物店があるそうです。

紫錦梅という漬物の付け方で、青梅から種を取り除き、刻み、赤しそと塩で漬ける漬け方です。落ちた梅も無駄にせず、使ってもらいたいという思いで作ったレシピだそうです。

斉昭は、食材を無駄にしないように、このようなレシピを考案したようですが、このことからも斉昭の人柄が感じられますね。

おわり

農人形を作った思いが、徳川斉昭の人柄が伝わってきますね。是非、弘道館のロケの朝食のシーンをじっくり見てくださいね。お膳の角に農人形が置かれています。そして、いまでも水戸の伝統工芸品として受け継がれています。また、偕楽園は梅の名所として観光の人気スポットになりました。

徳川斉昭の子、徳川慶喜は渋沢栄一と幕末まで深い信頼関係になったと言います。二人はどこか通ずるものがあったのでしょうか。そんな二人の関係性についても興味深いですね。