青天を衝けロケ地・血洗島のおどおどしい名前の由来は?

青天を衝け

渋沢栄一の生まれた家(中ん家)は深谷市の血洗島にあります。青天を漬けのロケ地として撮影されていますね。血洗島「けっせんとう」と読むのか?「ちあらいじま」と読むのか?しかし、なんともおどおどしい、ちょっと怖い地名ですよね。血洗島の名前の由来は「チアレジマ」が転じて「ちあらいじま」となったというのが有力な説のようですが、諸説あるそうです。渋沢栄一の生家、深谷市血洗島の名前、地名の由来についてやロケ現場について探っていきたいと思います。

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血洗島の名前の由来

血洗島の名前の由来は諸説あるようです。
読み方は「ちあらいじま」

由来① 源義家の家臣が片腕を切り落とされ、その血を洗ったことに由来するともいわれる。
由来➁ 地が荒れている島→「チアレシマ」→「チアライジマ」→「血洗島」との説。

土地が荒れている島から、由来したならば「地荒島」となるのが正しいような気もするが、家臣が片腕を切り落とされて血を洗ったという説も、有力なのかもしれないですね。

その土地で大昔に、荒々しい抗争などがあったのではないかと想像してしまいます。

血洗島はどこ?

埼玉県深谷市血洗島とちゃんと住所も実在しているんですね。血洗島は渋沢栄一の生家です。
セブンイレブン血洗島店もあるんですね。

なんと血洗島の交差点もありました!

青天を衝けロケ地・深谷市血洗島

第一話でも、渋沢栄一の生家が登場しました。こちらは展示用で、実際、中も見学できるようです。かなり大きなお家のようですね。2階は、お蚕さんを育てていました。1話の放送でも、お蚕さんのシーンが描かれていました。

血洗島にある渋沢栄ーの生家「中の家」(なかんち)は昭和60年より「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され、外国留学生が学んだようです。

渋沢栄一の生家近くには尾高惇忠の生家もあります。尾高惇忠は渋沢栄一の従兄でもあり学問の師でもありました。

こちらは、ロケ地となった渋沢栄一の生家、中ん家(なかんち)のオープンセットのようです。当時の渋沢家をそのまま再現しており、その規模は集落2つ分くらいあるそうです。畑や道、小屋や、渋沢栄一の親戚の家の尾高家までが再現されており、当時にタイムスリップしたようなオープンセットだそうです。

これがセットだとは思えないくらいの大規模なオープンセットです。映像でも伝わっていたのではないでしょうか。

おわりに

血洗島の名前の由来は諸説あるようですが、源義家の家臣が片腕を切り落とされ、その血を洗ったことに由来するという説や、地が荒れている島→「チアレシマ」→「チアライジマ」→「血洗島」との説があるようです。

少しおどおどしい地名ですが、この場所で渋沢栄一が誕生しました。青天を衝けのロケ地としても、深谷市血洗島にある「中ん家」のオープンセットで撮影が行われました。